北方では、第42軍団がウェルキエルーキ西方で薄くなった戦線を平押しし、弱った所を第39装甲軍団が蹂躙して突破口を開いた。
その第2装甲集団がどこから戦線を食い破るかが問題だったが、確かにプロニャ川(Pronya)の下流、ゴメリに近い方まで南下すれば敵戦線は薄くなる。ただし南寄りすぎて、そこから突破してもホトの装甲集団には手が届かないだろう。敵もそれを知ってか少し北のクリチェフ周辺は非常に強力なスタックが連なっていた。
激しい戦闘が幅30~50キロ、縦深100キロで繰り広げられ、歩兵師団の突撃に加え、第24装甲軍団と第46装甲軍団主力も突破口付近の戦闘でそれ以上前進できなくなった。だが最終的にはここでも最後に突入した部隊(第47装甲軍団と第10装甲師団)が突破に成功し、スモレンスク後方を大きく迂回、北上した。第10装甲師団と第29自動車化師団は、それぞれメジャ川とベールィで、第3装甲集団と落ち合った。
これら2個師団は若干スモレンスクから北に離れすぎ、ヴィヤジマ-スモレンスク間が手薄となった。第17装甲師団が3個連隊に分かれてこの包囲環の一角を担っている。破られる可能性があるとすればここかも知れない。