Decisive Victory

War in the East (Matrix Games) AAR

祖国防衛 ー WITE2 ソビエト側 AAR_8 第32ターン

T32 - 1/22/2021 3:08:03 PM(第32ターン)

loki100(主)

 

1942年1月31日

この更新は第32ターン終了時のマップ状況に基づいています。

 

背景

記事の体裁を少し変え、ターン毎のまとめではなく、8ターンに渡る主要戦区についてそれぞれ説明します。

レニングラード

1月初旬までに新たに編成されたヴォルホフ正面軍は戦果を上げ、ラドガ湖岸からドイツ軍をほぼ一掃しました。1942年1月5日から18日までのドイツ軍の反撃により、この地域の攻撃は阻止され、ソ連軍はほぼスタートラインに戻りました。しかしこれが当地のドイツ軍を疲弊させ、1月24日までにヴォルホフ正面軍はレニングラードへの安全な陸路接続を確保しました。

 [ここでの問題-供給された部隊しか受け取れません。補給の問題を考えると大量の物資を蓄積するのは非常に困難です]

カリーニン-ルジェフ

この戦区では12月14日に攻撃を開始し、トルジョーク南で小さな突破口を確保、12月27日までには明確な突破口へと着実にエスカレートしていきました。これにより西部正面軍の前進と連動してルジェフを脅かし始めました。ソ連の騎兵部隊は1942年1月3日にドイツ軍が西部正面軍の圧力を受けて撤退したため、一時的に市を解放することに成功しました。その後ドイツ軍の反撃で失われましたが、1月11日に後退したため奪還しています。

短い休息の後、カリーニン正面軍部隊は数個のドイツ軍師団が取り巻くルジェフ南の戦線を破ることに成功しました。

[ここでの問題-非突破戦線のため2、3ターンごとに行動を停止する必要があります]

カルーガ-トューラ-オリョール

ソ連軍による反撃が行われた最初の週は、この戦区に限定されていました。西部正面軍はポドリスク(訳注:モスクワの南20マイル)周辺でいくつかの限定的な戦果を上げ、ブリヤンスク正面軍はトゥーラ東方の弱体化したドイツ軍戦線を破ることができました。 12月20日までに戦闘はこの戦区全体で行われていましたが、前進は限られていました。

12月27日までに西部正面軍はドイツ軍の防御線を突破し、ブリヤンスク正面軍がトゥーラを奪還するなど、両正面軍は全戦線で行動していました。

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西部正面軍は1月初旬までこの圧力を維持していましたが[1]、ブリヤンスク正面軍はトューラを越えて前進することはできませんでした。1月10日までに中央軍集団は持続的な圧力の下で崩壊し始めていました[2]が、西部正面軍とブリヤンスク正面軍(これも現在は突撃司令部として設定されている)の両方が疲弊し始めていました。一連の攻撃により1月17日までにカルーガの解放に繋がりました。

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[3]

[ここでの問題-突撃戦線が迅速に回復し、突破口を活用するためのMPを持っています。また、ソ連軍は恐らく単一戦区の部隊目標に対しても戦力を使用する余裕があります。モスクワの重要性を考えると、これは良い選択です。]

南方戦線

1月10日には、この戦区で最初の重要な前進が見られました。ソ連軍は攻撃を継続するための兵力を欠いていたため、初期の戦闘は局地的なものになっていました。しかし、南部正面軍はロストフを解放し、南西正面軍はヴォロネジ南側を走る重要な鉄道の大部分を奪還していました。それからの数週間、ドイツ軍はロストフの東側戦線から着実に撤退していきました。

[ここでの問題-ロストフの奪還はVP獲得のため不可欠であり、実際それ以外には何も重要なものなど無く、いくら占領地を獲得しようとも1942年の春から夏にかけて失われる可能性が高いということです]。

第32ターン:1942年1月24日

レニングラードでは、ヴォルホフ正面軍がラドガ湖をカバーするのに適度な縦深防御ベルトを確保することに成功しました。

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注目すべきこと:レニングラード防衛が主目標であったため、現時点でこの戦区には私の最高の指揮官がいます。補給は依然として真の課題です。カリーニン経由の複線鉄道は有用ですが、物資のほとんどは更に東方での需要が高くなっています。 主要補給ルートは、北にある2本の単線鉄道です。実用上の問題の1つは、非力な部隊の再編成が非常に困難になることです(兵站については関連する投稿で説明します)。

その支援のため、私はNKPSの1つを使用しています。この時点では、それはシュリュセルブルク脇の線路を修理しています(レニングラードに補給と補充を流し込むのがまだ困難なので)が、すぐに「スーパー集積所」を構築するでしょう。
モスクワの状況は良くなっています。

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カルーガの奪還後、対抗するドイツ軍戦線は崩壊しました。覚えておく事として、戦争のこの段階で多数配備されていた機械化師団(残っているのは少数でしょうが)は非常に機動性があります(脆弱としても)。(MPを確保するために)CPPを高めることにより、この種の突破口を利用できます。

南方ではほとんど何も起こりません。 実際この戦線では1942年にドイツ軍が再び攻勢に転じた際の死の罠があるため、ここで占領するものは全て失います。イランからの部隊は南方正面軍を強化しており、スターリノを簡単に奪還できる可能性もあります。

私は慎重家(というか悲観的)なため、スターリングラードでは要塞線が建設されています[4]。

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戦闘序列は、ドイツ軍が補充要員を育成する際に抱える深刻な問題と、天候の影響で準備の整った戦車を反映しています。
私は、各正面軍をその司令部の許容する範囲に保つのに苦労しています。そのため、いくつかのMD(軍管区)が使用されています。 モスクワではモスクワMDとMDZで、部隊がレベル1を超える塹壕を掘ることができるので便利です。つまり、万が一に備えて防衛ライン設定できます。

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注目すべきこと:ソ連軍はこの段階で「予備」軍の集団を獲得し始めます。それらはあまり使用されませんが(TOEが低いため有効な指揮ができない)、定数向上のため、集積地に配置することができます。 1942年を通して、その多くが通常の軍(一部は親衛部隊にさえ)に転向します。従って開始時の「軍団」のように解散しないで下さい。

私は3個の突撃用司令部を持つことができましたが、2個しか使用していません。1個はまだ管理ポイントが不足しており(そのターンの終わりには残ポイントが9でした)、20ポイントを実際に消費しますが、これをどこに配置するかで迷っています。現時点では、レベル1を上回る要塞築城は魅力なのです。

 

損失:

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ここでも注意すべき点がいくつかあります。枢軸軍の損失は大きいですが、ほとんどが傷病者(Disabled)になっており(天候の影響)、多くは春に戻ってきます。 これはドイツ軍プレイヤーに、例えば10月以降の再編成方法に関するヒントを与えるかも知れません。ほとんどが傷病者として送り返されることを考えると、補充要員を最前線の部隊に提供することで得られるものは比較的少ないでしょう。東部軍の休息と再編成が行われるのは、1942年4月から5月です。

私は330万人の兵力を失いましたが、そのうち200万人は完全損失でした。この段階で私の人員プールは21万人まで減っていました(帰還した狙撃師団を全て再編成したことが主因)。

この文脈で言うと、私は238個の狙撃師団(マップ上)を保有しており、そのうち7個は親衛(2個軍団で6個)です。12個の機械化師団がまだ存在しており(これらは早晩狙撃師団に転換されるでしょう)、13個の騎兵軍団(編成可能な最大値)と26個の騎兵師団があります。また地図外の支援部隊として48個の戦車旅団を所持しています(この段階では、ほとんどすべてが騎兵軍団に所属している)。

[1]ここで重要なのは、作戦予備を持っている戦区の1つであるということです。1個の軍は2、3 ターンの間攻撃し、後退して入れ替わることができます。これは「突撃」戦線であるため、比較的高いCPPを維持することができ、それは戦闘力に役立つだけでなく、MPを比較的高く保つことができます。

[2]要塞ラインが失われて以来、野戦が行われており、損害は直接戦闘と言うよりも冬期の消耗ルールからのダメージ要素が多くなっています。ドイツ軍の兵站システムが深刻な状態にあるため、それらの損失は(恐らく4月、5月まで)補充することはできないでしょう。

[3]かなりの行動で消耗していても、親衛狙撃軍団はこれら攻撃部隊の中心となっています。これは配下の3個狙撃旅団と合わせて、779CVのうち540を占めています。

[4]注意すべき点は、レベル2を超える要塞は(レベル1を超える航空基地と同様に)補給コストの点で非常に高価であるということです。そのため補給が十分な地域でのみ、または非常にゆっくりとなら建設できます。それらの中には、1942年夏の本当に必要な時に準備ができていないものもあります(ネタバレ)。