Decisive Victory

War in the East (Matrix Games) AAR

第64ターン 南部戦線(スターリングラード占領)

42年夏期攻勢も終盤に入り、秋の気配が漂う9月、ロシア本土の戦線は静まり返っていた。同じ目的を持つドイツ軍機械化師団27個が、南北380キロの距離を隔て、有り余るエネルギーをひた隠しにして時を待った。
9月3日木曜日、ドン大屈曲部のソ連軍縦深陣地を大きく包囲し、勢いを駆ってヴォルガ河=スターリングラードに迫る作戦(秘匿名:フンマー)が発動された。

ドン河とテルサ川の間隙、ソ連軍は守りやすいメドヴェジツァ川のラインまで後退することはなく、あくまで現陣地に固執していた。それは少し北方のサラトフ西方でも同じで、60~80キロに渡る縦深陣地が綿々と敷かれており、戦車部隊の予備はむしろサラトフ方面がより手厚く見える。つまり装甲部隊前面=テルサ川南が特に厚いというわけではなく、ここを突いた枢軸軍の攻撃は半ば奇襲となったのである。

第6軍-第44軍団、第55軍団、第17軍-第4軍団所属の13個師団は80キロに渡って赤軍を排除し、第24装甲軍団、第39装甲軍団はメドヴェジツァ川後方の敵や予備の戦車部隊を蹂躙した。この圧倒的な戦力の集中により幅64キロ、奥行き100キロに渡り赤軍は潰走したが、第143狙撃師団だけは100キロ以上の遅滞戦を展開し、メドヴェジツァ川とイローヴリャ川の中間にある重要な高地への後退に成功した。
第24装甲軍団は高地を包囲しようと北西へ進路変更し包囲環の外郭を形成したが、高地を完全に孤立させることには失敗した。ドン河内部に向けた赤軍の救出作戦がここを足がかりにされることを憂慮し、予備として後置していたハンガリー第1、第2戦車師団、イタリア快速師団を数珠つなぎにして高地南方に進出させた。

その後は、開けた突破口から手つかずの装甲軍団が縦横無尽に駆け抜けた。
第46装甲軍団先鋒のG.D.自動車化師団はスターリングラードには目もくれずミシュコヴァ川も渡河してアクサイ川とドン河の合流地点まで進出した。約380キロ、1日あたり55キロを驀進したことになる。第57装甲軍団先鋒のSS自動車化師団トーテンコップも同様の進撃を見せ、包囲網の幅を深めるためスターリングラード南方50キロまで進出した。史実でドイツ敗北のスタートラインとなったスターリングラード自身も何と「もぬけの殻」で、両装甲軍団により奇襲占領した。ソ連地上部隊はドン河東部では文字通り皆無で、独裁者の名を冠した最重要都市を第三帝国にやすやすと明け渡したのだ!

南方、十分に開けたドン河橋頭堡からは第1装甲軍の4個装甲軍団スターリングラードに向けて猛進を開始。第6軍団、第50軍団が啓開した突破口を頼りに東、ついで北東へ進撃した。ただ、去年より数は増えたが質は低下している第1装甲軍。士気値89の第25自動車化歩兵師団がアクサイ川を渡河するのがやっとで、その他の機械化師団はクモイヤルスキ川周辺で次々に燃料切れとなり、第14装甲師団がG.D.師団となんとか連絡を付けたものの、両翼のハサミが「交差」したとまでは行かなかった。

北翼エリート師団の踏ん張りにより、ぎりぎりで巨大包囲網の形成に成功したドイツ南方軍集団だった。

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